◆◇◆沖のカモメに聞きたい魚の話◆◇◆

ニシンが幻の魚と言っても、逆に何故幻なの?と思われる方も多いでしょう。お正月には欠かせないニシンの卵の塩数の子をはじめ、味付け数の子は一年中ありますし、身欠きニシンや解凍の子持ちニシン、同じくオスのニシンも豊富に出回っています。ところがこれらの大半は輸入物なのです。国産の生鮮ニシンはわずかですし、特に子持ちであれば今や高級魚です。

ニシンってこんな魚です
ニシンとイワシは仲間で、同じ「ニシン科」の魚です。小型のニシンは大型のイワシと見間違えるほど似ています。体形はマイワシに比べると平たくて、口は受け口で大きく、歯はありません。目は大きく、透明な脂質の膜(脂瞼)で覆われています。全長は30〜40cm。寿命は普通10年ほどです。ニシン科・ニシン属にはこの(太平洋)ニシンの他に、よく似た大西洋ニシンがいます。

春告魚
ニシンは寒流の回遊魚ですが、その群はいくつもの系統に分かれ、それぞれ違った回遊をします。かつて北海道の西岸に春になると押し寄せた群れは、サハリン系群といって、三陸沖から北海道、サハリンの間を大回遊し、3〜5月になると接岸して昆布などの海藻に産卵します。このため、春告魚の名がつきました。この他にも汽水湖で産卵する系群や回遊範囲の狭い系群などもいます。また、このように春に産卵のために回遊してくるニシンを春ニシン、夏に餌を求めて回遊してくるニシンを夏ニシンともいいます。

群来(くき)とソーラン節
ニシンといえば北海道、北海道といえばソーラン節という強烈なイメージがありますが、そのソーラン節はニシン漁の労働歌です。また、最近では北原ミレイの歌でヒットした<石狩挽歌>も強烈なインパクトがありましたね。その歌詞の中に<海猫(ごめ)が鳴くからニシンが来ると赤い筒袖(つっぽ)のヤン衆がさわぐ・・・海は銀色にしんの色よ ソーラン節に頬そめながらわたしゃ大漁の網を曳く・・・>というくだりがあります。これはまさにニシン漁の情景そのものです。

ニシンの大群が浜辺に押し寄せると、海の色が白く変わるといいます。これは群来(くき)といって、ニシンのオスが海中に放出した精子と飛び散ったウロコの色です。海の色が変わるほどの大群というのは・・・感動ものですね。ところでこのニシンの精子は他の魚と違って、海水中で何日も生きられる性質を持っています。そのためメスとペアを組む必要がなく、産卵場にいっせいに放出するのです。一方、卵子は強い粘着性を持っていて海藻に付着します。これが漂っている精子と受精するわけです。卵(数の子)がびっしりと付いた昆布は、子持ち昆布として珍重されています。

ニシン御殿
北海道のニシン漁は開拓の歴史と重なります。古くは先住のアイヌ民族が貴重な食料としていました。和人のニシン漁が盛んになったのは、肥料としての需要の高まった18世紀後半になってからで、幕末には15〜20万トンに達し、主要産業となりました。そして、明治に入ってからは飛躍的に増加し、明治30年には97万5千トンという驚異的な漁獲量を記録しました。その後、漁獲量は大きく変動するようになり、豊凶が北海道経済に大きな影響を及ぼしながら、昭和30年を最後にニシンの時代は終わります。

この間、北海道ではニシン長者が続出しました。ニシンが来ると2、3日で1年分を稼いだほどだといいます。往時の賑わいは、銭函(ぜにばこ)という駅名や、小樽に日本銀行の支店があったとか、記念館となっている壮大な番屋(ニシン御殿)跡からも偲ばれます。

あれから何処へ行ったやら
ニシンの漁獲量は、昭和30年に5万トンに激減し、同53年以降は数千トンにまで落ち込んでいます。この減少分を補うためにロシアを始め、カナダ、オランダ、イギリス、アメリカなどからの輸入に頼るようになりました。

あれからニシンは何処へ行ったやら、どうして消えたやら、様々な説が唱えられています。それは<乱獲>、<海洋環境変化>、<天敵>や<森林の消滅>説などです。

行方のカギを握るのは洞爺丸台風!?
ニシンがいなくなってしまったのは、いくつもの要因が重なってのことと思いますが、中でも乱獲と森林の消滅が有力であるような気がします。

奇しくも、昭和29年に直撃した洞爺丸台風が、青函連絡船を沈没させ、北海道全域の木をなぎ倒して多数の死者を出した翌年から、ニシンは激減しました。これは単なる偶然の一致でしょうか。明治に入ってからの北海道の開拓は森林を伐採して、田畑や牧場を作ることでした。これは言い換えれば環境破壊で、その河口にあるニシンの産卵場の様子を一変させたことでしょう。台風はその最後のトドメであったような気がしてなりません。(参考:『木を植えて魚を殖やす』柳沼武彦著)

ニシンを殖やすための試みが、関係者の間で粘り強く続けられています。それは養殖や環境との取り組みです。その甲斐もあって、平成8年から漁獲が増加傾向にあります。一昨年の3月には留萌市で、何と45年ぶりに<群来>が観察されたそうです!関係者の皆さん頑張って下さい!

カドの子
ニシンをアイヌ語由来の別名で「カド」と呼ぶため、「カドの子」が転じて数の子になったと言われています。ニシンの話で数の子に触れないわけにはいかないのですが、紙面の関係で、またの機会(多分今年の末くらい)に譲ります。

ニシンパワー全開!
ニシンは青みがかった背中の色から、サンマやアジやサバなどとともに<青魚>と呼ばれます。青魚といえば近年、脚光を浴びているIPAやDHAを豊富に含む優等生です!IPAは血液を固まりにくくする作用があるため、血栓を防止し、酵素やビタミン、ホルモンなどの運搬をスムーズにします。また、コレステロールが血管壁に付着して、血管内が狭くなるのを防ぎ、高血圧や動脈硬化、脳梗塞や心筋梗塞などを予防します。DHAは脳の情報伝達を活発にして、脳の働きをよくします。どちらも他の食品から摂取しにくい必須脂肪酸の一種です。
ニシンはこの他にも肌や目の健康に欠かせないビタミンAや、骨の発育に必要なカルシウムの吸収・利用を促進するビタミンDも豊富に含みます。

目利きのポイント
生ニシンは腹がしっかりしていて、輝きがあり、ウロコがついていること。目の内出血は漁獲時にたいてい起こしているので、鮮度の見分けにはなりません。鮮度が落ちるとエラぶたに血の滲みがあります。

調理のコツ・・・
鮮魚は何と言っても塩焼きが一番です。脂が焼けつく香ばしさと、適当な焦げ目が風味を添えます。大根おろし醤油で食べたいですね。また、味噌にも合うので、味噌煮や味噌漬け焼きも美味いですよ。その他照り焼き、オイル焼きなどもおすすめです。
身欠きニシンは、脂やけやクセを上手に抜いて、やや濃いめの味付けで脂肪を旨味に変えるのがコツです。生干しは、米のとぎ汁に1〜2時間つけて渋みを取り、良く洗ってから料理してください。堅干しは、米の最初のとぎ汁に一晩つけて、タワシでよくこすって、ウロコをきれいに洗い落としてください。濃い味付けの時はこのままでもいいのですが、番茶でゆでて、クセを抜いてから調理すると更に美味しくなります。

下ごしらえが面倒だし、小骨が多くて食べるのも面倒!?とんでもない。美味い物を食べるには、手間は省けません!調理そのものを楽しんでくださいね。

■メールマガジン<お魚よもやま情報>2002年3月号